五. すし屋を楽しむ雑学
すし屋には様々な専門用語(符牒)があります。
それぞれこんな意味で使われています。
01. 数を示すもの
「1」→ | ピン |
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「2」→ | ノの字 |
「3」→ | ゲタ |
「4」→ | ダリ |
「5」→ | メの字 |
「6」→ | ロン字 |
「7」→ | セイナニ |
「8」→ | バンド |
「9」→ | キワ |
「10」→ | ヨロヅ (ピンまたはチョン) |
「11」→ | ピンピン |
「12」→ | チョンブリ |
「13」→ | ソッキリ |
02. 商品を示すもの
すもじ | すしのこと 昔の宮中に仕える女官や侍女が使いはじめたという女房詞 |
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シャリ | すし飯のこと 仏舎利からきており、お釈迦様の遺骨は白く、細かいことから |
ナミダ | わさびのこと あまり辛いと涙が出ることから。単に、「さび」ともいう |
むらさき | 醤油のこと 醤油の色から |
あがり | お茶のこと 花柳界からきた言葉で、本来は最後に出すお茶のこと |
ガリ | 生姜のこと 噛むとガリガリすることから。あるいは生姜を削るときにガリガリ音がすることから |
タネ | すしの材料のこと |
ぎょく | すしの材料のこと |
づけ | 玉子焼のこと 漢字の「玉」の音読みから |
づけ | マグロの赤身のこと 冷蔵庫のない時代、マグロを醤油に漬け込んだことから |
カッパ | 胡瓜のこと 胡瓜の切り口が河童の頭の皿に似ているからとか、河童の好物が胡瓜だからといわれる |
鉄火 | 鉄火場で食べるから鉄火巻き、海苔で巻くのはサイコロや花札をいじる指先に飯粒が付着しないためというのが、従来からの鉄火巻き誕生説であり、語源説です。しかし、この説にしたがうと海苔巻きすべてが鉄火巻きということになります。すし研究家の吉野昇雄氏によれば、西沢一鳳の『皇都(こうと)午睡(ごすい)』には「江戸で味噌のなかに種々の加薬を入れたものを鉄火味噌というが、京大阪では、泥坊漬と称するのと同じものである」とあり、「芝蝦(しばえび) の身を煮て細末にし、すしの上にのせたる鉄火鮨というのは、身を崩しという謎なるべし」といっていることから、芝蝦ならぬマグロの身を細かく切り崩すからというわけで、鉄火ずしの洒落を踏襲してマグロの身を持ち崩したヤクザ巻き、すなわち鉄火巻きであるとしています。 |
オドリ | クルマエビを生きたまま使ったにぎりずし エビが踊るように動くことから |
やま | 笹のこと 笹を山からとるとか、形が似ているからとか |
煮ツメ(ツメ) | 煮ものの煮汁を煮詰めたもの |
煮キリ | 醤油に酒などを加えて煮切り、醤油臭さを飛ばしたもの |
丸づけ・片身づけ | タネの魚一匹をそのまま握るのが丸づけ、半分にして握るのが片身づけ。丸づけは「1枚づけ」ともいう |
つけ場 | すしの調理場のこと。すしを作るとはいわず、漬けるという。すしを醤油や塩に漬ける仕事が多かったことから |
立ち | 昔のすしは屋台でも内店でも座って握った。やがて、屋台の形が店内に持ち込まれてから立って握るようになった。その仕事を立ち仕事といい、カウンターのお客様を立ちのお客というようになった |
にぎりずしの数え方 | カン |
木津 | かんぴょうのこと 現在、全国でも有数のかんぴょうの生産地は栃木県。だが、もともとは京都の木津が産地として有名。それが、徳川七代将軍の時代に木津の城主であった鳥居忠英が栃木県に国替えとなり、旧領地の木津からかんぴょうの苗を取り寄せて栽培を奨励したことから栃木の壬生や石橋がかんぴょうの主産地となった。 |
さがや | おぼろのこと 常磐津にある「嵯峨や御室(おむろ)の花ざかり」から、おむろにおぼろを引っかけた言葉 |
草 | 海苔のこと 海の草だからというのと、昔は浅草で海苔がとれたことから |
玉川 | 水のこと |
行徳 | 塩のこと |
谷中 | 生姜のこと |
亀戸 | 亀戸大根のこと |
陣笠 | 椎茸のこと |
片思い | アワビのこと |
ゲソ | イカの足のこと |
ありのみ | 梨のこと |
ヒゲ皮 ヘギ皮 | 梨のこと |
化粧笹 | すしの盛りこみに立てる笹を切ったもの |
お手許 | 割り箸のこと |
おおあいそ | 勘定のこと |
03. すしの食べ方
すし飯に醤油をつけ過ぎるとせっかくのすしがくずれてしまうので、醤油はタネの端の方に少しだけつけます。タネをはがして醤油につけたり、タネとすし飯を別々に食べるのは避けること。また、アナゴやシャコ、煮イカなどの煮もののすし、玉子焼のにぎり、かんぴょう巻、太巻、伊達巻は醤油をつけないのが原則です。
食べ方の順序に特に決まりはありませんが、しいて言えば、小味のものから大味のものへ、白身やイカの淡白なタネから食べはじめていきトロやアナゴと味の濃いものへと移り、味の変わるタネとタネの合間にはガリをつまみ、熱いお茶で口直しをするとよいでしょう。無理にこうした流れにこだわることもなく、各人の好みで構わないのです。にぎりの大きさは自由に注文してよく、ひと口で食べられない大きさのすしは半分に庖丁を入れてくれるように頼むといいでしょう。
04. 歌舞伎の演目に由来するすし
かんぴょうの海苔巻といなりずしの組み合わせを歌舞伎の演目にかけて助六と呼ばれることがあります。
歌舞伎十八番の一つである『助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)』に由来して、助六といいます。助六が吉原の花魁である揚巻のもとへと花道に登場するときに、黒羽二重の紫縮緬の鉢巻をして蛇の目傘をさしていることから、この鉢巻を海苔巻に見立て、花魁の名前である揚巻をいなりずしにひっかけています。
05. 江戸から明治中期の魚の流通
かんぴょうの海苔巻といなりずしの組み合わせを歌舞伎の演目にかけて助六と呼ばれることがあります。
歌舞伎十八番の一つである『助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)』に由来して、助六といいます。助六が吉原の花魁である揚巻のもとへと花道に登場するときに、黒羽二重の紫縮緬の鉢巻をして蛇の目傘をさしていることから、この鉢巻を海苔巻に見立て、花魁の名前である揚巻をいなりずしにひっかけています。
06. サバにちなんだ相撲の決まり手
相手の両回しを引きつけて上からのしかかるようにして体重をかけ、腰をしめつけて土俵につかせてしまう技をサバ折りといいます。もともとは「腰くじき」「胴つき」「ちょうちんだたみ」といわれていたのが、大正の頃からこう呼ばれるようになったということです。
当時の関脇の巨漢力士・出羽ケ嶽や戦後では小結の大起(おおだち)が得意技とし、サバの骨が折れやすいことからきているようです。
07. 秀吉の陣中見舞に献上されたすし
豊臣秀吉が朝鮮に兵を進攻していたころ、陣中見舞いとして秀吉と縁故の深い長浜の町民から近江の鮒ずしが献上された記録が残っているそうです。秀吉はその鮒ずしを大いに喜び、使者2人に陣の中で催された能楽を見せ、後に長浜町に朱印の感謝状を送ったと伝えられています。
08. 歌舞伎に見るすし屋の名場面
『弥助』はすし屋のことをいう符丁ですが、この屋号の起こりとなったのは源平合戦の人物、平維盛です。
歌舞伎の『義経千本桜』のすし屋の段で知られる『弥助』は、源平屋島の戦で破れて逃げ落ちた平維盛の改名。平維盛は吉野に逃れ、旧臣である釣瓶鮨弥左衛門の家に隠れ住み、名を弥助とあらためたことからといわれています。
09. 武士が忌み嫌ったすし魚
昔の武士が殊のほか、忌み嫌った魚はコノシロで、コノシロとは、俗に言うコハダです。武士にとって、城は自分たちの象徴。コノシロを「この城」と連想し、「この城を焼く・喰う」という言葉を語呂合わせして嫌い、武家ではコノシロは腹切り魚として、切腹にそなえる魚であったそうです。
10. おすしの握り方
にぎりずしの握り方には手返し、たて返し、こて返しがあります。
すしの位置を変えるやり方によって、すしを転がして右手にとって返すやり方を手返し、タネが下のすしを縦に返して上にするやり方をたて返し、小手先だけですしを返すのをこて返しといい、たて返しのことを仏壇返しとか石塔返しとか呼んでいます。この方法は、すし飯となじみにくいタネの場合に用いられます
11. 節分丸かぶり恵方巻
恵方巻は、江戸時代末期、大阪の中心地、船場から発祥したと云われております。商売繁盛、無病息災、家内円満を願ったのが事の始まりです。
昔から長いものは縁起が良いとされ、長いまま食べる習慣が生まれ、庖丁を入れると「縁が切れる」という縁起かつぎから、丸のまま食べる様になりました。古くは七草を巻き込んだという説もあります。現在では、山海の幸を巻き込んだ巻きすしが幸運を招くと云われ、七福神にあやかって、おめでたい食べ物とされております。
12. 11月1日は全国すしの日
全国すし商生活衛生同業組合連合会では、秋の時期、新米が収穫され、魚には脂がのり、一年中で一番美味しいすしダネが揃う季節である事から、昭和36年に11月1日を「全国すしの日」と制定致しました。 是非、旬の味をお楽しみ下さい。